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ゲーテから
ツェラーンへ
ドイツ文学における詩と批評
平野篤司 著
2014年3月8日刊行
装丁 服部一成
四六判・上製・238頁
定価:本体3000円(税別)
ISBN4-87746-115-7 C1098

芸術精神の発露は捨て身の跳躍にある
ゲーテ、ヘルダーリン、ニーチェ、ツェラーンーーーー18世紀から現代に至る詩人=思想家の内的論理を探求し、言葉と音楽、内面と外界、生活と表現を飛躍させつつ結ぶ〈魂の形式〉を明かす。創造のパッションに肉迫する論考!

神と人を痛烈に対比させ古典的な世界観を作りだしたゲーテから際立った孤独の中で他者との対話を思い描いたツェラーンまで、なぜ彼らは「途方もない逆説」をもって果てなき道を歩んだのか?
芸術を芸術として受け止め、継承していくところからは、形式の保持、形骸、人間疎外しか生まれない。裸形の生の息吹で形式を打つことによって、形式に生きた芸術となる契機を与えることができるのだ。(本書より)

ゲーテから
ベンヤミンへ
ドイツ文学における主題と変奏
平野篤司 著
2014年4月8日刊行
装丁 服部一成
四六判・上製・328頁
定価:本体3200円(税別)
ISBN4-87746-116-4 C1098

悲惨と栄光に彩られた精神の系譜
体系的思考を真摯に探求するあまり、反って非体系的な志向性を強めていったドイツ文学の系譜と、その果敢な精神の跳躍を記す気迫に満ちた評論集。アドルノベンヤミンらに刺激を受けたドイツ文学論!

ドイツの近代文学は、近代思想が勃興すると共に内在的批判を強め、それを内側から解体したのだといえよう。こうして開かれた世界は、至るところに傷を負っている。あるいは廃墟の風景かもしれない。だが、そこに現出する生の風景は、一途な近代主義によってもたらされるそれよりも、遙かに豊かなものであろう。このような悲惨と栄光が表裏一体となったありさまこそ、ドイツ文学の原風景であると思う。(あとがきより)

平野篤司
1949年東京生まれ 東京大学大学院修士課程(独語独文学専攻)終了。東京外国語大学教授、ウィーン大学客員教授などを経て現在成城大学教授。論文に「リルケとムージル」ほか。共訳書にヴァレリー・アファナシエフ『音楽と文学の間 ドッペルゲンガーの鏡像』(論創社)などがある。

かつて、著者の畏敬の念措くあたわざる川村二郎先生は、ドイツ文学の特質は、という問いに応えて、ひとこと極端といわれたことがあった。ドイツ人の精神はなかなか中庸に就かない不安定性をもっている。それは彼らが真善美を兼ね備える聖なるものへの志向性に強く突き動かされるからである。裸身の魂は、この世で極端から極端へと跳躍しなければならない。それはその動きのなかで幾多の深い傷を負うことであろう。その企図は容易に成就することはない。だが満身創痍の魂は、その過程で明確な軌跡をのこす。それは聖なるものへの志向性であり、人間性である。著者は、このような魂の傷と輝きをドイツ文学のなかに見出し、あまねく人々に伝えたいと願った。

これらの著作において、読者もドイツ文学を担った精神と同様の経験をされることだろう。著者はことがドイツ文学にとどまるものではないと信じている。自己と他者を豊かにする文学という意味でゲーテの主張した普遍的な世界文学に通じるものでもあり、人の生き方を考えることにもなるからだ。それほどにもドイツ文学の世界は、人の生き方と不可分である。詩人リルケにアポロのトルソに触発されて、おまえの生を改めよという一句がある。著者は、読者がこのような契機を本書に見出されると徒と思う。本書がそのような真摯な贈り物であればと思う。

『ゲーテからツェラーンへ』は、上記のようなドイツ文学の特質をいくつかの特異な結節点において考察したものである。著者の見解は、従来の文学史上の通念からは明確に一線を画しているはずである。一方、『ゲーテからベンヤミンへ』は、さらに一層深遠なドイツ文学の森を探索した成果である。こちらは、ベンヤミンに収斂にしているが、前作もベンヤミンへの助走であったといえるかもしれない。著者は、ベンヤミンにおいてドイツ文学の志向性は頂点を極めたと信じてやまない。願わくは、これらの著作が魂から魂への架橋とならんことを。

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